hideモバイル-JETS-

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1988

01/15
イシバシ楽器横浜店オープン記念でサイン会を行いパニックとなる
04/14
X1stアルバム「VANISHING VISION」をリーダーのYOSHIKI自ら設立したインディペンデント・レーベル「EXTASY RECORDS」からリリース(オリコン最高位19位)
インディーズ・チャート上位に長期ランクインする記録的ロングセラー・アルバムとなりインディーズ・アルバムとしては初めてメジャーチャートにランクインする 後にピクチャー盤・CD化をリリース
04/17
新宿UKエジソンにてアルバム発売記念サインを行うがパニックとなり中断
05/05
中野公会堂にて初のホールワンマンライブ
6月
X初の全国ツアー "VANISHING TOUR" スタート
6/2・3 目黒鹿鳴館
6/6・7 渋谷エッグマン
6/10 大阪御堂会館
6/13・14 広島ウッディストリート
6/16 小倉イン&アウト
6/17 博多Be-1
6/19 松山クレイジーホース
6/29 前橋ラタン
7/1 横浜7th AVENUE
7/2 大宮フリークス
7/4 名古屋フレックスホール
7/5 豊橋かごやホール
7/7 沼津松乃ホール
7/16 金沢バンバンV4
7/17 新潟ウッディー
7/19 仙台フォーラスモーニングムーン
7/20 青森1/3
7/22・23 札幌メッセホール
7/25 旭川スタジオ9
7/26 北見夕焼祭り
8月
CBSソニー(現ソニー)とメジャー契約
08/27
イベント "HEAVY METAL DAYS" 埼玉会館
09/04
京都スポーツバレーにて野外ライブ
10月
X全国ツアー"BURN OUT TOUR"スタート
10/8 大宮フリークス
10/9 豊橋かごやホール
10/11・12 大阪バーボンハウス
10/14 福岡Be-1
10/18 名古屋ハートランド
10/20 仙台CADホール
10/22 秋田モーニングムーン
10/23~25 札幌メッセホール
10/30 川崎CLUB CITTA'
11/14
イベント "STREET FIGHTING MEN" MZA有明
12/31
目黒鹿鳴館オールナイトメタルパーティにヘッドライナーで参加
X JAPANのギタリスト"HIDE"として、またソロアーティスト"hide"(hide/hide with Spread Beaver/zilch)として活動。
hideが発信しつづける音楽やライブパフォーマンスは、常に革新的でオリジナリティに溢れ"まるで移動遊園地やおもちゃ箱をひっくり返したようだ"と表現された。

1996年、バンドZEPPET STOREのCDを偶然耳にし衝撃を受けたhideは、自らNEWレーベル『LEMONed(レモネード)』を立ち上げる。
「LEMON(不良品)」に過去形の「ed」をつけた「不良品だった」という意味の言葉。大量生産されるこの時代で、僅かな確率で生産された「不良品」が異色を放った時、「僕たちはかつて不良品でした」と笑えるようにという想いが込められたhideが生み出した造語。「LEMONed(le'mene'id=元不良品」は音楽のみならず、アートやファッション、ヘアメイク、ショップなどコレクターhideがカッコイイ!と思ったものを発信するレーベルとして展開した。

1998年5月2日(享年33才)不慮の事故により、志半ば永眠。
東京・築地本願寺で行なわれた葬儀には5万人のファンが訪れ、hideとの別れを惜しんだ。

レコーディング、CDリリース、全国ツアー、そして海外進出に向けて全米・全欧ツアー、日本国内においては東京ドーム公演も計画され、都内に自宅兼レコーディングスタジオ建設も予定されていた。1998年はhideが新たに世界に向けて動き出す年であり、誰よりもそれを楽しみにしていたのがhide本人だった。
hideに関わる多くの関係者が突然の別れに悲しみを覚えるとともに「hideがやりたかったこと」をファンに伝えていかなくてはという想いが形となって動き始める。

永眠した同月、hideがリリースを心待ちにしていた『ピンク スパイダー』『ever free』を予定通りリリース。

またhide楽曲の共同プロデューサーI.N.A.を中心に、hide with Sparead Beaverのメンバーもhideの意志を引き継ぎ、完成間近であった3rd アルバム『Ja,Zoo』を完成させ、本人不在という異例の状況の中、全国ツアー「hide with Spread Beaver appear!!"1998 TRIBAL Ja,Zoo"」を敢行。
生前のアイディアをもとにたくさんのステージスタッフ、映像スタッフ、全国の関係者の協力により展開されたこのツアーは、全国12ケ所、全14公演が行なわれ5万人を動員。ツアー最終日にリリースされた3rdアルバムは160万枚のセールスを記録し、関わった全ての関係者の想いが形となり、ロックアーティストhideとしての歴史にも深く刻み込まれる作品となった。

また同年、海外アーティストと結成したバンドzilchのアルバム『3.2.1』を7月にリリース。
当時zilchは95年にhide、レイ・マクヴェイ(ex.PROFESSIONALS)、ポールレイヴン(ex.Killing Joke/PRONG ※2007年10月27日永眠 合掌)ら3人で構成され、様々ミュージシャンを加えフレキシブルな形態で活動。
ロックンロール、パンク、ヘヴィメタル、グランジ、オルタナティブ、インダストリアルといった、新たなる形のロックサウンドを排出し、「邦楽」と「洋楽」という垣根を越え、いよいよ世界進出が決まっていたさなかのhide永眠。このアルバムがhide参加のzilchとして最初で最後の作品となった。

1999年
hideトリビュートアルバム『hide/SPIRITS』リリース。X JAPANのメンバー含む著名アーティストが参加し、全15曲収録。日本人アーティストのトリビュートアルバム史上初の100万枚セールスを記録し、ギネスブックにも申請された。 hide1周忌「hide Memorial Day」(ファン参加による献花式)が西武ドームで行なわれ「hide MUSEUM」 設立が発表される。

2000年
「hide MUSEUM」が、生誕の地「横須賀」にオープン。
ライブハウスCafe Le Psyenceや、LEMONed SHOPを併設しているこの施設のテーマは"hideの全てに逢える場所"。hide愛用のギターやコスチューム、ゆかりの品々が1000点以上展示され、2005年の閉館までに43万人を動員。 同年、「いよいよ俺もBESTリリースだ」と楽しみにしていた『hide BEST~PSYCHOMMUNITY~』 がリリースされた。(オリコン最高位1位)

2008年
hide10周忌には「hide memorial summit」を東京・味の素スタジアムで開催。
X JAPANやhide with Spread Beaver、LUNA SEAなど21組のアーティストが出演、2日間で9万人を動員した。

2010年
13回忌法要(東京・築地本願寺)が執り行われ、世界各国から3万5千人が献花の列を作った。
翌年には13回忌メモリアルプロジェクトとして、hideの楽曲のみで構成されたROCKミュージカル『ピンク スパイダー』が上演された。

またhideの命日である5/2には「hide Memorial Day」、誕生日である12/13 には「hide Birthday Party」、hideが造り上げてきたサウンドとビジュアルをDJ&VJがスピンしていく唯一無二のオフィシャルクラブイベント『CLUB PSYENCE』など定期的に開催。 さまざまなブランドとのコラボレーションアイテムの発表や、LEMONed SHOPも原宿、新宿にて展開されるなど、hideを後世に伝えて行く活動は現在も受け継がれている。

hideが残してくれた「音楽」や「メッセージ」は今もなお、多くの人々の心の中で色褪せることなく生き続けている。

2013年「ソロデビュー20周年」、2014年「生誕50周年」に向け、新たなるプロジェクトが多数企画・予定されている。

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